瀧口修造
瀧口修造
1903年 富山県婦負郡寒江村大塚(現在の富山市大塚)に生まれる
1923年 慶應義塾大学文学部予科に入学
1926年 富永太郎・堀辰雄らの同人誌「山繭」に参加。ランボー、ブルトンから新たな啓示を受け、西脇順三郎教授の教えを受ける
1928年 シュルレアリスム機関誌「衣裳の太陽」創刊
1931年 慶應義塾大学英文科卒業
1932年 PCL入社、約5年間勤務
1938年 『近代芸術』刊。この前後の時期に、前衛芸術の紹介・翻訳・雑誌寄稿など、旺盛な啓蒙活動を行なう
1941年 特高刑事に逮捕され約8か月拘留される
1945年 自宅が全焼し、金沢で終戦を迎える
1947年 「東京アヴァンギャルド美術クラブ」を結成
1951年 「タケミヤ画廊」開設。「実験工房」発足。美術映画研究会第一回作品「北斎」を企画、シナリオ作成
1960年 最初の個展「私の画帖から」を南天子画廊にて催す
1962年 デカルコマニーに没頭、第3回個展「私の心臓は時を刻む」を南画廊にて催す
1965年 赤瀬川原平の千円札裁判の特別弁護人を引き受ける
1967年 『詩的実験1927-1939』刊行
1968年 『マルセル・デュシャン語録』を刊行
1969年 詩画集『手づくり諺』をミロと共作
1972年 中川幸夫作品集「華」の為に「狂花思案抄」を寄稿する「華 中川幸夫作品集」は1977年に刊行され「狂花思案抄」が掲載される
1973年 病身を押してフィラデルフィア美術館デュシャン大回顧展に出席
1975年 タピエスとの詩画集『物質のまなざし』を刊行
1979年 7月1日、心筋梗塞のため東京都新宿区の河井病院で死去 75歳
2024年 「シュルレアリスム展」ポンピドゥセンター(フランス)
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